Ryotaの教育勅語)

嫌われることを恐れた僕は誰よりも人の目を気にしていた

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どーも、Ryotaです。(@RyotasannNo)

 

僕は色んな人に「優しい人」と言われていました。

でも、その言葉を掛けられるたびに、何か違和感を感じる自分がいました。

 

ある日、僕は気付いた。

僕が人に優しくしている理由は、「あなたに嫌われるのが怖かったんだ」

 

 

優しさと甘やかすは全然違う

僕は困っている人がいると、手を差し伸べてあげたいと思う人間です。

困っている人がいると、とりあえず話を聞いて解決策を出していました。

時には、自分が身を削って解決してあげるなんてこともしました。

 

でも、これには罠があって、優しさと甘やかすは違うということです。

 

問題が起こった時に、手を差し伸べてあげることは良いことです。

でも、その人の問題を自分が解決してあげることは、優しさではありません。

 

そんなものは優しさではなく、甘やかしているだけです。

優しさとは、また同じような問題を抱えてしまった時に、自力で問題を解決できるように導いてあげることです。

 

誰かがいなければ、解決できないという状況を作り出すことは優しさではありません。

依存心を育てるだけで相手にとっては何の成長もない。むしろマイナスです。

 

僕は勘違いをしていたのです。

自分がやれることはやってあげたいという想いが、相手にとってはマイナスだったのですよね。

 

僕が優しく接していた理由は嫌われるのが怖かったから

誰にでも優しく接していた本当の理由は、嫌われるのが怖かったからです。

人間誰しも嫌われたないという想いは少なからずあるんですよ。

 

でも、万人に好かれるなんてことは絶対にありえません。

今でこそ嫌われるのは仕方ないことと言っている自分がいますが、僕は誰よりも人から嫌われることが怖かったんです。

 

 

嫌われてしまうと自分の居場所がなくなってしまう。

誰からも必要とされないのは嫌だ。

 

優しく接することで、嫌われるリスクを極力下げていた自分がいました。

相手の為になっていようが、なかろうが関係なく優しく接していました。

 

相手にためではなく、自分の為に人に優しく接していたので、ストレスばかりが蓄積されていったのです。

 

誰にでも優しく接することで自分が嫌になった

僕は偽りの自分を演じていました。

言いたいことが言えず、思うことがあっても相手を傷つける発言をせず、優しく接することを心掛けていました。

 

こんな自分が嫌だった。許せなかった。腹が立って何度も何度も自分のことを恨んだ。

 

 

高校2年生の時、僕は自分のことが嫌になりすぎて、家を飛び出しました。

深夜の河川敷で人目も気にせず、泣いた。しんどくてしんどくてたまらなかった。

 

そして、次の日、学校をさぼって家で一日中考えことをしていました。

 

「言いたいことを言えない。そんな人生は嫌だ。たとえ嫌われたとしても思ったことはきちんと伝えよう。」

 

こんな決意をした。

それ以降人に相談されたときに、自分が思ったことを伝えるようになりました。

厳しい意見を伝えることも多くなりました。

 

でも、それが相手の為になると考えた上で、伝えているので後悔は一切ない。

結果嫌われたとしても、それは仕方ないよなと思えるようになりました。

 

厳しいことを言えば、改善すべきことはきちんと改善すべきだし、それが後々かなりじわじわ効いて、自身の成長にも繋がることになるのです。

 

嫌われることは仕方ないことということを受け入れることができるようになってから、僕はかなり好き勝手生きることができるようになったので、全く後悔はありません。

 

むしろ良かったなと思うことばかりです。

 

嫌われることも多くなったと思いますが、それでも好きでいてくれる人を大切にしていきたいですね。

 

それでは今回はこの辺で。

 

 

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